雑誌『ユリイカ』に記事を寄せました。
二つ続けて告知になります。まず一つ目ですが、現在発売中の『ユリイカ』2008年6月号(目次紹介)に原稿を書かせていただきました。特集「マンガ批評の新展開」ということで、マンガについて書かせて頂いています。
- 作者: 荒川 弘
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2008/05/26
- メディア: ムック
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題目は以下のとおりです。
濱野智史(2008)「平坦な戦場をループさせることで生き延びること――『リバーズ・エッジ』 と 『ひぐらしのなく頃に』 をMADする?」『ユリイカ』第40巻第7号, pp.100-109.
以下、内容紹介などをつらつらと。
普段、筆者はマンガ評論を専門にしているわけではないのですが、以前ここにアップした『ジョジョ』第6部についての文章がきっかけになって、今回お声がけ頂くことになりました。ということもあって、当初は『ジョジョ』でお題を頂いていたのですが、あれこれ悩んだ末に上のテーマを選びました(他にも、ニコ動上の「マンガ」作品*1や、ケータイコミックなどについても色々調べを入れていたのですが、結果的に)。
さて、この文章、自分でもなんと紹介していいのやら…。いや、なんといいますか、完全にもう「ティンときた!」という勢いのままに、普通であれば、並べることはありえない二つの作品(しかも片方はマンガですらない…)を「混ぜてみた」、とでもいうべき試みになっています。ちなみに、そのきっかけとなったのは、本文中でも引用している、かの名著『サルまん』です。そのコマを見て、もうありえないくらいに――それこそ「とんち番長」ばりに――「ピキーン」ときてしまった、という感じです*2。
ですので、ここではその内容を要約をするよりも、次のように読者タイプ別(?)に紹介してみるべきかもしれません:
『もし、この文章を読まれているあなたが……
「惨劇はとつぜん起きる訳ではない そんなことがある訳がない それは実はゆっくりと徐々に用意されている 進行している アホな日常 退屈な毎日のさなかに」
- 3.そして両作品ともに読んだことがあるという人であれば、『リバーズ・エッジ』の最後で、なぜハルナは「こねこが死んだ時は 大声を出して 吐くように泣いた」「あの時は超悲しかったけど きもちが良かった」「今は苦しい ただ胸が苦しい」といって泣いてしまうのか、そして山田君はなぜまたしても「UFO」を呼ぼうとするのか、その《謎》が『ひぐらし』を通じて分かるのかもしれないということを*4、
……それぞれの皆さんに伝わることを願って、この文章を書きました。』
という感じでしょうか。思わず、「それだけが私の望みです。」とか末尾につけそうになってしまいました……危ない危ない。どんだけひぐらし厨なんだ、という感じで本当にすみません……。そんな筆者の電波バリ3クラスのトンデモ話はさておくにしても、この号には他にとても充実した論考が多数掲載されています。僕もちょくちょく仕事の合間に面白く読んでいるところです。マンガに興味のある方は、ぜひ手にとってみてください。
*1:といっても、紙に印刷されたマンガの特徴はそこでは失われているので、「イラスト・スライドショー」とでも呼ぶほうが的確でしょうけれども。
*2:学生時代のゼミの先輩が、「サルまんは構造主義だよ!」とよく熱く語っていたのですが、そのことを思い出しながら今回改めて読み返してみて、『サルまん』はやっぱり(いうまでもなく!)神すぎると思いました(残念ながら休載が決まったという、IKKIでの『2.0』連載はフォローできていなかったのですが)。これは福嶋亮大さんのいう「神話」の問題とも密接に絡んできます。むしろ、一見すると、これまでに縦横無尽な「神話的操作」に満ち満ちた作品が、ニコ動のような不特定多数の集まるソーシャルウェア上ではなく、ほとんど竹熊氏と相原氏という二人の著者だけで演算/産出されてしまっているということ。それ自体が、現代から見れば、ある意味驚くべきこと、といってもいいでしょう(その印象は、雑誌の投稿コーナーを完全に再現してしまった『バカドリル』にも等しく当てはまる)。そのことの意味については、また改めて考えてみたいと思います。
*3:ちなみに、上の文章では、東浩紀さんの『ゲーム的リアリズム』の読解に基本的に寄り添いながら、「第6話」(罪滅し編)のラスト近くに出てくる、「奇跡」のシーンを取り上げています。さらにちなみに、僕の個人的な『ひぐらし評』は、第6話のこのシーンまでがガチで最高、というものだったりします。