ニコニコ学会(国際部会)、早くも本当に実現!? ― ロンドン大学 GoldSmiths の「ニコニコ動画」研究プロジェクトについてのご紹介

もうひとつ近況報告です。ロンドン大学の Goldsmiths Media Research Programme の研究グループが、「ニコニコ動画」に関する研究を行うためにイギリスから来日されているのですが、先日、インタビューを受けました。そのレポートが以下にアップされています。

Tag-Wars A conversation with Hamano-san - Metagold A Research Blog
about Nico Nico Douga
http://d.hatena.ne.jp/metagold/20080513/1210652036

このグループは、基本的にカルチュラル・スタディーズやメディア論の観点から、「情報社会における新しいメタデータのあり方」をテーマに、日本のニコニコ動画をケースに取り上げているとのことでした。メインのインタビュアーはGoetz Bachmannさんで、エスノグラフィーを専門にされている方です(ちなみに、この「メタデータ研究」のプロジェクトリーダーは、おそらく社会学系の人なら名前をご存知の方も多いであろう、スコット・ラッシュとのことです)。彼らは今後数ヶ月に渡って日本に滞在し、インタビュー調査を続けるとのこと。さらに上のブログでは定期的にモノグラフがアップされていくとのことで(すでに一つ目のグループへのインタビューを終えられているようですね)、要注目です。


さて、このインタビューは3時間弱に渡って続けられたのですが、本当に刺激的でエキサイティングなものになりました(Goetzさんの記事からも、その熱気の一端が伝わるかと)。インタビューの前半では、ほとんど僕はただの「one of the ニコ厨Nico Chuus!)」として、とうとうと「タグ戦争」(Tag-Wars)の実態について語ってしまいました。ただでさえ、イギリスという遠方から、はるばるこの日本という極東の地の、しかも国内でもまだまだかなり「辺境感」の漂うニコニコ動画というサービスの実態について、(しかもばりばりの人文的アプローチで)研究するために訪れてくださった、というだけで、俄然こちらのテンションは上がるわけです。しかも、通訳の方が本当にこれまたすごい人で、たとえば僕がいきなりムスカ大佐のネタタグ、というハイコンテクストな(いや日本国内であればこれはかなり「敷居の低い」ネタになるわけですが)事例を説明したら、通訳の方がばりばりラピュタのあらすじとを補完して説明してくれたりと(しかもこの通訳の方も相当なニコ厨!)、かなりハイパーな状況になりました。

……真面目な話に戻すと、このインタビューの話題は多岐に渡り、改めていろいろと考えさせられました。その中でも、ニコニコ動画のいうなれば「日本特殊問題」については、やはりなんらかの答えを出さないといけないな、という思いを強くしました。要するに、なぜニコニコ動画は(いまのところ)日本特有のサービスなのか、という問題です。ニコニコ動画のようなな動画サービスが、まず日本で花開き、そして英語圏では特に生まれてくる気配が一向にないのはなぜなのか(ゲーツさんも、おそらく英語圏ではこのサービスが受け入れられることはないだろう、とおっしゃっていました)。また日本国外にも、コメントを付けられるサービスは存在しているけれども(たとえば買収されてすでに存在しないが「mojiti」など)、あくまでアノテーション(注釈)をつけるという発想の延長で設計されており、ニコ動のような「コミュニケーション志向」のインターフェイスは採用されることはないわけで、こうしたニコ動の「日本特殊性」について、単に「日本がそういう文化の国だから」とありきたりの文化論*1で片付けるだけではなく、ある程度普遍的な枠組みの上で(ありていにいえばグローバリゼーションと情報化の関係として)論じておく必要があるだろうな、と。

しかしなんといいますか、見出しにも書きましたが、先日4/1にこのブログで、吉川日出行さんと「ニコニコ学会」についてのエイプリルフールネタをアップしたわけなんですが、まさか半ば本当に実現することになるとは・・といった感じです。とはいえ、それは暢気な話ではすまされなくて、ほんと変な話、英語圏のほうがいきなりニコニコ動画の学術的研究が進んでしまう可能性が高いわけですよ。いやほんとマジで。それは上の記事で最後に触れられている、"metadata becomes content and content becomes metadata"(メタデータがコンテンツになり、コンテンツがメタデータになる)という彼の表現からも明らかだと思います。おそらくニコ動を少しでも知る人ならば、これがニコニコ動画を極めて的確に捉えている仮説であることが分かるでしょう。いや、本当にいい意味での危機感というか、刺激をもらうことができました。

また、僕としても、今後も彼らの研究にはガンガン協力していくつもりです。これについては、また別途エントリを近日中に書きたいと思いますが、もしこの記事を読まれた方の中で、「いつも2時間くらいタグに張り付いて戦争してます」「あの有名なタグを流通させたのはたぶん私です」なんていう人がいらっしゃいましたら、ぜひご一報ください。

*1:たとえばルース・ベネディクトの『菊と刀』以来の「集団主義」や「恥の文化」の観点から、2ch/ニコ動的な匿名文化を説明することはある意味で可能だし、またエドワード・ホールのいう日本社会のハイコンテクスト性(文脈≒お約束の共有度が高い)をもちだしてみてもいい。それこそ一つ前のエントリで触れた宮台真司サブカルチャー神話解体』にしても、北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』にしても、いずれも裏テーマは日本社会論だった。