「ニコニコ現実」(CNETインタビュー記事について)
一ヶ月ぶりの更新ですが、いくつかご報告を。最近かなりばたばたしておりまして、こちらでご報告できずじまいでしたが、先日、CNETにインタビュー記事が載りました(4/28)。
- ニコニコ動画とAR(現実拡張)技術が可能にする「ニコニコ現実」という未来:コラム - CNET Japan:http://japan.cnet.com/column/pers/story/0,2000055923,20370895,00.htm
聖地巡礼
実はこのインタビュー、もとは去年の冬に受けたものなのですが、その後公開時期がずれたこともあり、今年3月にあったOGCの後日談的エピソード(AR+ニコニコ動画≒ニコニコ現実?という着想)を加筆した内容になっています(3ページ目)。
ちなみに、実際に僕が白川郷に行ったのは去年の9月で、バイクで実に9時間もかかったのですが(結局日帰りできずマンガ喫茶で宿泊した)、いやそれはもう『You』とかをガンガンiPodで聴きながらめぐる白川郷、否、雛見沢の風景は大変にすばらしく、誰もほかの観光客が見向きもしない古手神社がめちゃくちゃ圧倒的で、あまりに没入しすぎて、そのとき「富竹」していたデジカメを探索中にうっかり紛失してしまい、それなのに「リアル鬼隠し!」とかいってさらに盛り上がったり、・・などという話はさておき。
ARについての個人的な記憶
ただ、ARでコメントを表示する、といった話は、もちろん今に始まったものではありません。そういえば、僕が学部時代に参加していた研究会の隣では、スコット・フィッシャー氏らの研究グループがARの実験をしていて、それは確かまだクソ重いGPSやらパソコンやらカメラやらをリュックに背負って、現実空間を撮影した映像にリアルタイムでCGを合成し、それをHMD(ヘッドマウントディスプレイ)に映し出す、というものだったのですが、そのSF感溢れる実験の様子を見て影ながら心躍らせたりしていたものでした。ただ、僕が知る限りでは、当時そのHMDに合成されていたCGは、「現実に存在するオブジェクトの関連情報を表示する」といった、いわゆるアノテーション(注釈)型の情報が主で、いわゆるネタ/ツッコミ的な用途は想定されていなかったようです(当たり前だけど・・)。でも、いまこの手の実験を(少なくとも日本で)やろうとすれば、「ニコニコ現実」みたいなアイデアはほとんど自動的にでてくるのではないかと思います。
デジタル・サイネージ
あるいは、ARはちょっと普及の敷居が高くてまだまだ無理でも、先にデジタル・サイネージ(電子街頭広告)のCGM化が進む、ということは考えられなくもないですね(時事通信の湯川さんも「スーパーマーケットとCookPad」という想定例を書かれていましたが)。ただし、サイネージは、そのメディアの特性上、基本的に公衆の面前に表示されてしまうものなので、ARのように「そのメガネをかけている人だけに"それ"が見える」という視覚のテリトリー(排他性みたいなもの)を形成できないのが、アイロニカルなコミュニケーションを展開する際の障壁(?)になるため、「ニコニコ現実」みたいな状態にはおそらくなりえないだろう、とも考えられます。
かわいい丸文字≒ネタ的な2ch語
話を少しずらすと、それこそ2chもしばらく長いこと「便所の落書き」などと形容されていたわけですが、誰が見ているんだか分からないような場所だ(と予期される)からこそ、そこに「匿名的な共同性」の宿る確率は高まるわけです。いきなり違う例を出しますが、たとえばゲーセンやラブホテルになぜか置かれていた/いる(って、いまも置かれているのか?)「ノート」なんかが、そのいい例です。それらのメディア上に、80年代であれば「丸文字(変体少女文字)」とか、90年代であれば「援助交際」といった都市/匿名的コミュニケーションが展開されていたことは、周知のとおりでしょう(だからその意味でも、ひろゆき氏が2ch的匿名性を「都市」の比喩で説明していたのは正しいといえます*1)。
また、そのように考えれば、いわゆる「2ch語」の存在にしても、それは「ラブホのノートに書かれた丸文字」と機能的に見て等価ということができるでしょう。たとえば宮台真司氏は『サブカルチャー神話解体』の中で、丸文字をはじめとする「かわいいもの」なるものは、少女たちにとっての対人関係ツールだった、と分析しています。以下に引用してみましょう:
「(…)誰もが文脈自由に抱く(はずの)共感に依拠して、いつもまでも戯れ続けること。各人によっていかようにも異なりうる「本当の<私>」を詮索するのをやめにして、「みんな同じ」であることを巧妙に先取りしてしまうコミュニケーション*2。それこそが、キュートな「かわいさ」の、対人関係ツールとしての本質的な機能なのである。」(文庫版P.126)
「まる文字によって「"かわいい共同体"のメンバーだ」というシグナルが送られると、お互いに平等な匿名メンバーとして「お約束の中で」振舞えるようになる(…)」(文庫版P.134)
上で使われている「かわいい」という形容詞を、「ネタ的」(鈴木謙介)or「アイロニカル」(北田暁大)などと置換すれば、ほとんどそのまま2ch論として読めることは一目瞭然ではないかと思います。
*1:4Gamer.net ― [OGC2008#03]「2ちゃんねる」と「ニコニコ動画」のひろゆき氏が語る,ゲーム・コミュニティ・文化
*2:以前4gamerのインタビュー記事で語った内容は、まさにここでいう「みんな同じ」であることを先取りする振る舞いのことを指しています。引用しておくと、「「2ちゃんねらー」という仮想人格をみんなで共有するというか,「2ちゃんねらー」というアバターにみんなでなりきるとか,そういうものだと思うんですよ。本当の意味で「誰が何者なのかが完全に分からない」という匿名掲示板ではなくて,「2ちゃんねらー」という仮面をみんなでかぶったうえで,俺達「2ちゃんねらー」で面白いこと言い合って楽しもうぜ,という方法論。」(4Gamer.net ― [OGC2008#04]「ニコニコ動画は2007年最大ヒットのオンラインゲーム」ネット社会学の若手論客,濱野智史氏にネットコミュニティについて聞いてみた)